…長かった…。
長かったけど、ようやく終わることができそうです。
前回、ストーリーは演出だって話をしました。今回は設定についてです。
1 意外性のあるキャラ設定について
設定においても、文脈を変化させる要素をかけ合わせると面白くなります。たとえば「魔女」という設定があったとします。そこでよくある「老婆」だとか「謎の薬を作っている」という要素を盛り込むのは面白くありません。「魔女」という単語が持つ文脈の通りだからです。「魔女なのに宅急便やってる」のほうが圧倒的に面白い設定です。
意外性のある設定だと、物語がぐっと面白くなるよ、ということなんですね!
女子高生なのに戦車に乗ってるとか。極道なのに主夫やってるとか。元暴走族なのに教師やってるとか。〇〇なのに~~、っていう設定、それだけで物語がぐっと広がりそうです。
毎回使える技ではないかもしれないけれど、覚えておくと役立ちそうな技です。絶対どこかで使ってみたい!
2 作品のテーマとは
ここからの文章は、エブリスタで書いていたエッセイに載せていたものです。
あるエブリスタの書き手さんに「いまファンタジーにできること」という作品を紹介していただきました。ゲド戦記シリーズで知られる、アーシュラ・K・ル=グウィンさんによるものです。
フィクションの書き手であるわたしはメッセージを語ることはしない。わたしは物語を語る。物語にふさわしい言語で、その問いを投げかけなくてはならない。あたしは伝言サービスじゃないの!あなたへのメッセージはありません。あなたにあげられるのは物語です。その物語はわたしが情熱を込めて書いた、わたしにとって重要な意味を持つものだから。
わたしは『メッセージ』を語らない。『物語』を情熱を込めて綴るだけ。グウィンさんの、そんな思いが伝わってきました。
この文章を三度目に読んだ時、ふと疑問に思いました。でも、物語の中にも、メッセージは隠されているのでは?
例えば、戦争の非道さ、虚しさを伝えたいと思った時に、「戦争反対!」と直接 言葉にするのがメッセージ。隣国と魔法戦争をするファンタジー作品を書き、傷ついた主人公の姿を描くことで、「戦争って虚しいんだな…」ってことに気づかせるのが物語。そういう違いがあるだけで、本質はあまり変わらないのでは?
そんな私の疑問に、ばしっと答えてくれる文章に出会いました。一部、引用します。
物語というものはメッセージを非常に苦手としていることはおぼえておきましょう。
しょせんは作り話です。作者のさじ加減でどうとでもなるものです。
メッセージを伝えたいならドキュメンタリーの方が100倍得意です。
物語というものはメッセージではなく人生を表現することに向いた媒体です。
(ちなみに、メッセージとテーマは全然違うそうです。テーマとは、そのストーリーの中で描かれる人生のこと、と紹介されていました)
この解説文を読んでから、もう一度、グウィンさんの文章を読んでみたら、そういうことか! と、すごく腑に落ちました。
物語は、メッセージを語る媒体じゃない。『人を描くもの』なのだと。
グウィンさんは、さらにこんなことも言っています。
物語を頭だけでなく、心と体と魂で読むのなら。その物語はあなたの物語になる。そしてそれはどんな教訓やメッセージよりもはるかに豊かなものを意味するだろう。
物語の登場人物の生き方を、身体と心と魂で受け取った時。その人生は、自分そのものになる。私は、そう解釈しました。
私たちが物語を欲してやまないのは、きっと、いろんな人生を追体験したいと思っているから。登場人物たちの生きざまから、違う人生を受け取ること。それこそが、物語を読む醍醐味なのかもしれないと思いました。同時に、物語の書き手として、『メッセージではなく、人生を描くこと』を常に意識に留めておかなければ、と感じました。
3 まとめ
これで「面白さの構造」を読んでの考察は終わりです。すっっっげー深かった。なんだこの深すぎる講義。こんだけの内容が一つの記事にまとめられてんだぜ⁉ どういうことだよ、まったくよお!(最大限の誉め言葉です!)
ただ、私は学んでから実践までのタイムラグが異常に長いので、これらができるようになるには、最短3カ月、長くて数年はかかるだろうな…。凡才だもん、しかたがないよね。
改めて。マシュマロちゃん、すてきな記事を提供してくださり、ありがとうございました! そしてarukoromoさま、紹介していただき、ありがとうございました!