「ぼる塾」にハマってる話

 今日は疲れたので、すっごいどうでもいい話をしようと思います(笑)

 

 「ぼる塾」にハマってます!!

 


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 けっこう自分にびっくりしてるんです。女芸人さんにハマるの、たぶん初めてだから。

 

 実は、女芸人さんが苦手だったんです。自分の女性らしさを全部捨てて、男芸人たちに負けないように体を張ってる姿、ストイックでかっこいいとは思うけれど、たまに見ていて痛々しく思えてしまって。

 あと、女芸人さんのネタには、イタい勘違い女をディスるタイプのものがあって。これでもちゃんと「私も傍から見てたらイタい女」って自覚はあるので、ちょっと辛くなってしまうんです。

 

 その点。「ぼる塾」の漫才は、すごくバランスがいいんです!

 

 女性らしさを生かしながらも、互いの個性も生かし合って、しかもポジティブな感じにまとめてる、っていうか。

 

 なにより、あんりさんのツッコミのキレ味のよさといったら!

 彼女が真ん中にいることで、一見普通に見えるはるちゃんのヤバさも、田辺さんの強烈なキャラも、きらきらと輝き出します! あんりさん超かっこいい!!

 

 もっと彼女たちのネタを見たいなあ…♡

 ぼる塾のますますの活躍を願っています♡

創作活動の果てにどうなりたいのか

 昨日、車で通勤してる時に、ふとひらめきました。

 

 創作活動の果てに、最終的にアイドルタレントになりたいタイプと、カリスマモデルになりたいタイプがいるんじゃないかな、って。

 

 …これだけじゃ意味が分からないですよね。すみません。

 

◇◆◇

 

①創作活動を通して、アイドルタレントになりたいタイプ。

 

 読者から共感や支持を得たい。作品などの媒体を通じて、友達や仲間が増えたら嬉しい。読者と同じ気持ち(感情)を共有し、分かち合いたい。

 

 共感度の高いアイドルタレントになろうと思った時、「好感度」「不快感を与えない言動」「流行やトレンドを取り入れたファッション」あたりが必要だとすれば。創作活動なら、「読者にていねいな対応をすること(人間性)」「不快感を与えない表現」「流行やトレンドを取り入れた作品」ということになるのかな…。

 読む人の視線を意識して、わざとらしくない程度に読者ウケを狙うといいのかもしれないけど、それってかなり高度なテクニックなような…。

 

②創作活動を通して、カリスマモデルになりたいタイプ。

 

 読者から感情のすべてを奪いたい。作品などの媒体を通じて、読者を沼に落としたい。共感よりも、唯一無二のオリジナリティを絶賛されたい。

 

 カリスマモデルになろうと思った時、「圧倒的な実力」「インパクトを与える言動」「奇抜で超個性的なファッション」あたりが必要だとすれば。創作活動なら「実績」「インパクトを与える表現」「独特な世界観の作品」ということになるのかな…。

 こういうタイプは、ぼっこぼこに叩くアンチもいるけど、その分、熱狂的なファンがついていたりもするんですよね…。

 

◇◆◇

 

 これ、どちらがいいとか悪いとかの話ではなく。どっちを目指してるかで、努力する方向が違うんじゃないかと思ったんです。

 

 アイドルタレントになりたいタイプなら、まず交流しやすい投稿サイトを選んだほうがいいと思うんです。で、積極的に交流したほうがいいと思うんですよね。人間関係が広がっていくことで読者ウケも把握しやすくなって、創作の喜びも増えていく、のかな…?

 

 カリスマモデルになりたいタイプなら、むしろ孤独になったほうがいいのかも。二分する評価に惑わされず、独自の世界観を追求する姿勢が必要なのかもしれません。

 

◇◆◇

 

 ちなみに私は恥ずかしながら、圧倒的にカリスマモデルになりたいタイプです。…いや、実力不足は分かってます。なりたいって言ってみただけです。はい、すみません。

 

 ………。

 

 こうやって二つに分けてはみたものの、この仮説はどうなのか、不安になってきました。①のアイドルタレントになりたいタイプ、本当にいるんだろうか。どちらでもない、③のタイプもいそう。

 

 こういうふうに勝手にタイプ分けしてしまうの、私の悪いクセなんだろうな。でも通勤中にひらめいた時には、テンションが爆上がりしてしまったので、こうやって書けてなんだかすっきりしています。

気持ちと行動のベクトルがずれてる時

 ほとんどの悩みって、気持ちと行動のベクトルがずれてるところから発生してるような気がします。

 

 仕事したくないのに、行かなきゃいけない。

 休みたいけど、休めない。

 運動しなきゃと思ってるけど、なかなかできない。

 

 悩みを根本的に解決するには、「気持ちと行動のベクトルを一致させたらいいんじゃ」って一瞬思ったんですが、それだとわがまま放題になってしまいそうだし、わがままなだけじゃ生活していけないし…、難しいなあって思います。

 

◇◆◇

 

 ま、仕事はため息をつきながらでも行くしかないんですが。

 

 問題は、「やりたいことがあるのに、なんか心が抵抗してできない」って時です。ここ最近、体調が悪いからか、新しい情報をインプットするのがしんどくて。読みたい小説も、見たいアニメもあるのに、どうも接種する気が起きません。体調が悪いからこそ、こういうフィクションの世界に浸るチャンスなのに。

 

 その接種した作品がすばらしすぎて、逆にへこんでしまうのを恐れてるんだろうなあ…。

 

◇◆◇

 

 こういう時、いくつか方法を試してみました。

 

① 気持ちを大声で叫びながら行動する。

 

 「あー仕事行きたくないー!」と大声で叫びながら出社準備すると、意外とはかどることがあります(笑)

 気持ちを抑え付けると行動にまで影響を及ぼすので、口では気持ちは認めつつ、でも体は動かす、みたいな。これ、「やりたくないけど、やらなきゃいけない」ってことによく使います。

 

② 自分より活動に目を向ける。

 

 これ、没頭する条件でもあるそうです。

 自分を掘り下げたって大したものは出てこないだろうから、自分よりも活動に目を向けます。主語を「自分」ではなく、その「活動」にするイメージです。

 

 「やりたいけど、なんか抵抗感が…」って時に、もしかしたら効果があるかも。

 

 活動してみて、なんかしらのポジティブなイメージがつけばこっちのもの。新しいものが苦手なだけの心も、一度やってみたことなら、次はあんまり抵抗せずに受け入れられるものかもしれません。

 

③ 体の動きに注目する

 

 小説やブログの投稿など「毎日やってることなんだけど、なんか抵抗感が」って時は、だいたい人の目が気になってる時。自分がどう思われるかが気になって怖くなってる時。(実際は、私の事なぞ、他人はそんなに気にしてないと思う)

 

 こういう時は、とにかくどこかの体の動きに注目して、自分から意識から逸らすのがいいかも、と思っています。

 

 自分に注目し続けてると、得体のしれない恐怖だけが膨らんでいくから。キータッチしてる指先とか、打ち込んでる文字を口パクしながら書くとか、とにかく自分の「体」に意識を向けて、内面から意識を逸らしてあげると、少し楽になることがあります。

 

◇◆◇

 

 ま、こうやっていろいろ試しても、うまくいかないことはあるけれど。

 そんな時は、もうすっぱり「あ―今日は無理」って諦めるしかありません…。そんな日もあるさ…(泣)

君が共感できない その大惨事 変態の俺たちの 日常茶飯事

「君が共感できない その大惨事 変態の俺たちの 日常茶飯事」

 

 UVERWorld の「無意味になる夜」という曲の、冒頭部分。

 このリリックが本当に大好きなんです。

 

 頭がおかしい。

 気が狂ってる。

 ヘンタイである。

 感性がぶっ飛んでる。

 

 こういう言葉って、クリエイターにとっては賛辞だと思っています。

 

◇◆◇

 

 私の大学生の時の学部は、総合芸術。美大ではなかったけれど、なんとなく美術系のことをずっとやっていました。(そっちの才能は、実はあまりなかったけれど。小説の表紙や挿絵が下手ながらも描けているのは、あの時、さんざんデッサンをやった成果なのかもしれません)

 

 大学時代に付き合ってた彼氏は、私たち総合芸術学部の人間を、敬意をこめてこう言っていました。

 「みんな、頭のねじが数本ぶっ飛んでいる」と。

 こうやって書くと、なんだか悪口みたいですが。個性的であることを是とし、平凡であることをなにより忌み嫌っていた、うちの学部の人たちにとっては、間違いなく賛辞だったと思います。

 

 みんな、どこかいびつで、人間的に欠けたところを抱えていて。

 欠けたものを埋めることに必死で。

 そのパワーで、たくさんの作品を産み出していました。

 

 私は絵が好きなほうだと思っていたけれど、私の何倍も才能があって、私の何十倍も芸術にのめり込んでいる人たちを見て、「私はそこまで絵が好きなわけじゃなかった」ということに気付いてしまい、普通に就職する道を選びました。

 

◇◆◇

 

 そもそも、現状に満足できてる幸福な人は、わざわざ創作になんか手を染めないと思うんです。

 

 誤解を恐れずに言えば、人間的に欠けたものがあるからこそ、それを埋める手段として創作活動に手を染めてしまうのではないか。そうでなければ、自分の内なる世界(しかも、どちらかというと禁忌な世界)を、わざわざ世界に向かって表現したいと欲するだろうか、と思ってしまうんです。

(※個人的な意見です。幸福で人間的に出来た人が、きらきらと創作活動してる場合もあると思います。むしろ、そっちのほうが多いんだろうか…)

 

◇◆◇

 

 欠けたところを埋めようとするエネルギー。

 そこから産まれる作品たちには、パワーがあります。沼地に引きずりこむような、怨念のようなパワーが。そこにどうしようもなく惹かれてしまう自分がいるし、自分もそんな存在でありたいと願ってしまいます。

 

 私のなかにも欠落した部分はあるけれど、欠落は欠点ではなく、ブラックホール的なエネルギーなんだと信じています。

 

◇◆◇

 

 なんだかとりとめもない、支離滅裂な文章になってしまいましたが。

 そんなことを思いながら、今日もこのリリックを口ずさんでいます。

 

「君が共感できない その大惨事 変態の俺たちの 日常茶飯事」

お姫様を描きたい!

 小説やブログに限った話ではないんですが、「書く」って行為は、なんか上達を感じにくいなって思います。だいたい、なにをもって上達とするのかよく分からないし。「うまくなったなあ」って思うことがそれほどありません。

 

 まだイラストのほうが、素直に「上達したなあ」って思えます。

 

 そんなわけで、挿絵用のイラストが1枚、とりあえず完成したので、自分のチェック用にあげたいと思います。(ここで客観的に見ると、消せてない下書きの線や、微妙に曲がってるところ、トーンのかす等に気付くことが多々あって。意外とそのままでは気付かないものなんです)

 

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 下手なのはあきらめてるので。

 とある公国の姫である雰囲気が出ていれば、それでオーケー、合格点です。

 

 ドレスに見せるの、思った以上に難しかったです。特に肩の部分。結局、トーンでごまかしました。「あ、こいつごまかしてるな」ってバレなきゃいいけど。

 

 修正点。

・首元のネックレス、線の太さがまちまち。消えかけてるところがある。

・一番長い髪の毛の線が曲がってる…?

・まぶた、まつげのところが気になるけど…、ここ黒く塗りつぶしたらなんか微妙だったんだよな、あきらめよう。

 …そのくらいか。

 

 モノクロイラストを描き始めてから痛切に思ってるんですが、私、たぶん線の描き込みが足りないんですよね。線の総量が足りないというか。

 

 きっと、イラストも質より量。

 たくさん描かないと上達しないよな、とため息混じりに思っています。

一番苦しかった時期に、自分に言い聞かせていた言葉

 このブログ終了まで、あと18日。

 あと18日か…。

 

 なら、語りたいことは全部語ってしまおうかな。

 

◇◆◇

 

 一番苦しかった時期に、こう自分に言い聞かせていました。

 

「言い訳すんな、全部小説で語れ!」

 

 これ、人に言うには厳しすぎると自覚しています。だから自分にしか言いません。

 

◇◆◇

 

 以前もお話ししたことですが…。

 同じ投稿サイトの書き手さんに、設定かぶりを指摘され、激しく責められたことがありました。

 

 いったん、自分の作品を修正のために引っ込めて、修正しながらたくさん泣きました。この気持ちをどうにかしたかったけれど、当時はこのブログもやっていなかったし、相手のいる話なので、投稿サイト内で泣きごとを言うわけにはいきませんでした。

 

 この気持ちを表現できる場。それは小説だけでした。

 

◇◆◇

 

 小説の一番いいところは、どんな体験も無駄にならないところです。

 

 せっかく心がずたずたになるほど苦しいんだから、それを描写に使ったらいいんです。そうすれば、絶対にリアリティのある描写ができるはずだから。

 

 泣きたいなら、小説の中で泣け。

 悔しいなら、小説の中で悔しがれ。

 苦しいなら、小説の中で苦しめ。

 

 言い訳するな、泣きごとを言うな、誰かのせいにするな!

 全部を味わいきって、全部登場人物に託して、書け!

 そうすれば、どんな気持ちも、全部、自分の糧になるはずだから。

 

◇◆◇

 

 この当時、連載していたのは、「A と R のシンデレラ・コード」というヒューマンドラマの作品でした。あらすじはこんな感じです。

 

 A & R として音楽レーベルで働く、水瀬 碧海(みなせ あおと)。彼が担当したアーティストが次々と解散、引退してしまう。次に失敗したら、二度と A & R として仕事することができない。ピンチに陥った碧海の前に、奇跡の歌声をもった少女、藤沢 花音(ふじさわ かのん)が現れる。彼女のプロデュースのために動き出す碧海。そんな中、作曲・作詞ができる人物として紹介されたのが、解散した伝説のロックバンド「RAVAGE‐ラベッジ‐」の元ボーカル、紅焔 レイジ(こうえん れいじ)だった……。

 

 この「主人公が、次に失敗したら二度と A & R として仕事することができない、というピンチに陥る」っていうところの描写で、この体験は大いに生かすことができました。

 

 大幅に加筆しながら、ふと思いました。

「ああ、そうか。ここの描写が弱いから、主人公と同じ苦しみが味わえるように、この体験を神様が用意してくれたのかもしれない」

 いつもは無神論者のくせに、そんなことを考えて感動したのを覚えています。

 

◇◆◇

 

 私はいまだに、身の潔白を証明し続けています。オリジナル作品を産み出し続けているという、その一点において。

 ほかの人の作品をあえて読まない、自作品に「設定資料集」をつける、という自衛手段もとってはいますが。最も潔白を証明できる手段は「作品を産み出し続けることだ」と信じています。

 

 小説を書くことで傷つき、小説を書くことで癒される。

 書き手はそんな輪廻をぐるぐる回りながら、表現し続けていくものなのかもしれません。

 

 まだまだ弱小書き手な私だけど。

 私は自分の力で、自分の才能と潔白を証明してみせる。いつか、必ず、絶対に。

 

 だから、もう一度、自分自身に向かって言います。

 

 言い訳すんな。

 言いたいことがあるのなら、全部、小説で語れ!